巫女と機関銃




短々編13 - 幕間









 厚手の真っ赤な絨毯が敷かれ、いつの時代からある物か分からない程に古い彫像などが並んだ薄暗い館の中。大騒ぎをしても壁にぶつかる心配のなさそうな廊下から、脇道に逸れて狭い奥まった通路に入るとそこはロウソクの灯りさえもまばらな空間が広がっていた。常にその館の中で活動をしている者ならば、きわめて闇に近い通路でも問題なく行動が出来ようが、初めて入った者はすぐに身震いを覚えて引き返してしまうだろう。

 表の通りでは華やかな舞台の幕が音も無く閉じている頃、そんな表の明るさとは無縁の静寂漂う通路の中を、固い靴底が地面を蹴って進む音が響いていた。一歩、また一歩と、足音は暗がりから廊下を進んで来ているようだ。狭い通路では音が反響して大勢の人が一斉に歩いているような錯覚さえ覚えてしまう程であったが、実際には一人しか歩いていないのだから聞こえているのは亡霊の立てるの足音かもしれない。

 メトロノームのように正確なリズムを刻みながら、暗い洞窟のような通路を歩いてきた足音の主は通路の壁にはめ込まれた木製の扉の前で止まる。

 そして、一呼吸を置いてから、目の前の扉に手をかけた。

 開かれた扉の中から漏れ出した光が、真っ暗な通路に一筋の線を作り上げた。その光の筋は、扉が大きく開かれてゆくと共に形を変えて行き、最終的には扉の閉まる音と共に光を全く漏らさない一枚の壁と成り果てたようだった。しかし、再び暗闇に戻った通路の中には先程まで足音を響かせていた主は居なくなっていた。





 暗がりの通路と扉を隔てた部屋の中では、壁に掛けられた燭台や机に載せられた洋灯が、惜しげもなく室内を隅々まで浄化するかのごとく光を放っていた。灯りに満ちた部屋の中には、質素ではあるが普段使いには十分過ぎる程の家具が置かれ、この館にある部屋には珍しく窓が壁面についていた。

 そんな室内に置かれた一脚の椅子には、何やらせっせと作業をしている門番が一人、落ち着かなさそうに腰を掛けていた。どうやら彼女は腕に包帯を巻いているようだったが、まるで自らの腕を実験台にでもしてミイラを作っているような巻き方であった。包帯のあまりにも乱雑な巻き方には門番である美鈴も狼狽しているようで、少々焦りながら悪あがきを続けているのであった。

 そんな美鈴の姿を目に留めると、先程、暗い通路から部屋に入ってきたばかりの人物は、白いエプロンをスカートと共に揺らしながらゆっくりと椅子の方へと近づいて、座っている美鈴に声を掛けた。

「美鈴、大丈夫?」

 背後から突然に声を掛けられた美鈴は一瞬ばかり全身を硬直させてから、声の聞こえた方向へと身体を回して視線を向けた。

「びっくりさせないで下さい、咲夜さん……」

「あなた、そこまで驚かなくても良いのに」

「そんな……突然、声を掛けられたら誰でもびっくりしますよ……」

 咲夜が驚かせたからであろうか、美鈴は終始あたふたとしながら受け答えをしていた。そんな美鈴を見た咲夜は、美鈴の腕で解け掛けている包帯へと何も言わずに手を伸ばした。そして、器用に包帯を結びながら、ゆっくりと深い溜息をついた。

「あ……咲夜さん、ありがとうございます。でも、包帯くらい自分で巻けますから……」

「いいの、私にやらせて頂戴」

 咲夜が結んだ包帯は、先程まで悪戦苦闘しつつ美鈴が結んでいた物よりもずっと綺麗に巻けており、今まで居たはずのミイラ職人は何処かへ行ってしまったようだった。

「ごめんなさいね、あなたにはいつも痛い思いをさせてしまっているわ」

「そんな……私が悪いのですから、咲夜さんが謝る必要はないですよ」

 美鈴の言葉を聞くと、咲夜は再び深い溜息をついた。そして、だるそうな視線で美鈴を見ながら、彼女へ届く前に床へとこぼれ落ちそうな勢いで言葉を吐き出した。

「いいえ、あなたは悪くないわよ。じゃあ、私はお嬢様の所へ戻るから」

 ふわりと宙に浮くように咲夜は美鈴から離れて行く。その動きからは軽快さなど感じられず、濁った水の中に漂っているようだった。

 しかし、美鈴は咲夜が離れて行くのを黙って見てはいなかった。包帯の巻かれた腕で咲夜の手をしっかりと掴むと、自らの元へと引き寄せて固い意志を持った瞳で咲夜を見つめた。

「咲夜さん、たまには……たまには、私の言葉もちゃんと聞いてくれませんか?」

 美鈴が取った突然の行動によって、咲夜は疲れ果てた目を見開きながら息を呑む事になってしまった。咲夜の顔には驚きとも、怒りとも、焦りとも取れない、何とも中間的な表情が浮かんでいて、彼女の正しい表情を読み取るには、見開かれた目の中を覗き込む以外無さそうだった。

「美鈴、手を離して頂戴。私はお嬢様の所へ戻らなくてはいけないのだから」

 咲夜が美鈴に対して放った言葉には、自身に目的を再認識させる為の意味が多分に含まれていた。美鈴の行動に困惑し、咲夜は自らのやるべき事を見失いそうになりつつあったのだろう。

 しかし、そんな咲夜の発言を聞いても、美鈴はしっかりと掴んだ彼女の手を離そうとはしなかった。真っ直ぐな視線で咲夜の瞳の中へ自らの意志をねじ込まんとするかのように、美鈴は一心に咲夜を見つめ続けていた。

「私は戻らなければならないの。美鈴、離しなさい」

「嫌です!私は……咲夜さんを離したくありません」

 美鈴は掴んでいる咲夜の手を離すのを頑なに拒否した。しかし咲夜は、そんな美鈴を見ても、美鈴の視線を瞳に受けても、一切動じた様子を表へと出そうとはしなかった。

「美鈴、離しなさいと言っているの」

「どうしても……どうしても、離せと言うのですか?」

 その言葉が咲夜にどのような影響を与えたのかは分からない。しかし、美鈴の口から発せられた悲しげな言葉は、今までぶれる事の無かった咲夜の視線を揺らがせたのに間違いはないようだった。

「駄目よ、離して頂戴……私は、戻らなくてはならないのだから」

 咲夜はその言葉をうわ言のように呟いて、美鈴から視線を逸らした。それは、美鈴の真っ直ぐすぎる視線を受け続ける事に耐えかねたかのようであった。そして、咲夜は美鈴から逃げ出すように手を振り払うと、強引に美鈴から数歩の距離を取った。

 二人の距離は手を伸ばそうと思えばすぐにでも掴めそうな距離であった。しかし、咲夜が美鈴の手から逃れた瞬間から二人の間には目に見えぬカーテンが降りてしまったようだ。

「すみません、咲夜さん……その……」

「いえ、いいの……じゃあ、私は戻るわね」

 咲夜は言葉を完全に言い終わる前に、素早く踵を返すと扉に手をかけた。背後から咲夜を呼び止める声は無く、ただただ静寂ばかりが咲夜を見送るばかりだった。

 一呼吸置いた後、扉が音も無く空気を切り裂いて開く。そして閉じた後には咲夜の気配は室内から完全に消え行き、残った物は何とも言えぬ重い空気ばかり。後から出てきたのは、炎が幽かに揺れるばかりの静かな美鈴の溜息だけであった。


 -終-