巫女と機関銃




昼下がりの脱獄騒ぎ -前編-







 少しばかり早めの昼食を済ませてから、陽が沈んだ後に訪れる夕食の時間まで続くはずだった私の静かな時間は、普段ならば決して聞こえないような激しい轟音と小悪魔の悲鳴にも似た警告によって終わりを告げた。

「パチュリー様、非常事態ですっ!」

 地下にある図書館では大きな音がこもって、必要以上に大きく聞こえる。突然聞こえた爆発音のような何かが爆ぜる音で、私は手に持った紅茶を危うく本に飲ませてしまう所だった。私は慌てふためいて走り寄ってきた小悪魔に対して、不満やら困惑やらの混じった声色で質問を飛ばした。

「どうしたの、こあ? 一体、何が起こったの?」

 すると、小悪魔は息を弾ませながら血相を変えて言った。

「い、妹様が……どうやら、部屋の中で暴れているようなのです!」

 私は小悪魔の報告を聞くと、ゆっくりと冷静に紅茶の入ったカップを机に戻した。そして、開いていた本を閉じると、小悪魔に視線を向ける。彼女は冷静さを失っており、非常に混乱している。ここは一先ず、彼女を落ち着かせなくてはならない。

「良い?こあ、落ち着いて聞いてちょうだい。まずは、詳しい状況が知りたいわ……」

 私は彼女を諭そうと口を開いたが、その台詞を最後まで言う事は無かった。なぜならば、耳が痛くなるような二回目の爆発音が響き渡り、話などしている暇では無いとようやく私も理解したからだった。

「説明は後でいたします! すぐに来てください!」

 小悪魔は咄嗟に私の手を取ると爆発音のした方へ連れて行くべく、力一杯に私の体を引っ張った。私は机から離れる前に本を急いで小脇に抱えると、柔らかな絨毯に足を取られて転びそうになりながらも、小悪魔に引きずられる様にして爆発音のした現場まで向かう事になった。

「パチュリー様、私が書架の整理をしていると、妹様の部屋から音が聞こえてきたのです」

 そう言って、私を乱暴に誘導しながら小悪魔は状況を説明し始めた。

 どうやら彼女が言うには、初めの内はフランの居る部屋から聞こえる小さな音だったが、突然、扉をも揺るがすような爆発音となって聞こえてきたらしい。それは、室内から扉に何かを叩きつけるような、無理矢理こじ開けようとしているような音だったそうだ。

「……そっ、れは間違いなく……フランが扉を破ろうとしている音でしょうっ……ね」

 私はバランスを何とか保ちながら小悪魔に言ったが、口から出た言葉は飛んだり跳ねたりしていて、全く安定しなかった。しかし、小悪魔は私の言葉を上手く汲み取ってくれたらしい。

「もし、扉が破られたら大問題が発生する可能性があります。早く手を打たなくてはなりません」

 小悪魔は物凄い速度で私を引っ張りながらも、平然とした口調で私と会話をしていた。私は、自らの足を動かすだけでも精一杯だというのに。

「ねえ、こあ。もう少しゆっくり歩く事は出来ないの?」

「すみません、できません。とにかく、今は一刻を争う一大事なのです」

 私が苦言を呈しても、小悪魔は取り合ってくれなかった。大きな事件が起こっているから急がなくてはいけないのは分かっているのだけれど、普段から全くと言って良いほど体を動かさぬ私は、無理に体を動かされ少し涙目になっている位だった。

 今にも私が泣きそうになっていると、どうやら問題の扉の近くに着いたようだった。私は久々に激しく動いた為に肺が痛くなる程に息を切らせながら、目の前に立ちはだかる大きな両開きの扉を見上げた。見た所、特に問題があるようには思えない。

 私は大きく息を吸って肺に新鮮な空気を取り入れると、勢いよく空気を吐き出して深呼吸を行った。しかし、それでも動悸は治まらず、音を立てて呼吸をしながら私は小悪魔に指示を飛ばした。

「えっと……突然、扉を開けてみるのは危険だわ……そうね、こあ、まずは咲夜とレミィに連絡を。私はここで様子を見てみるわ」

「分かりました、パチュリー様」

「……お願いね。急いでちょうだい」

 小悪魔は私という荷物を運び終わったせいか、さっきよりも素早い速度で駆けて行ってしまった。そして、私は問題の扉の前に一人、佇んで様子を見守っている事になった。

 目の前の扉は、爆発音がした事など嘘のように平然とそびえていた。その強固な姿は見ているだけで安心感さえ湧いてくる程である。しかし、今、まさにこの瞬間にも、扉の内側では何かが起こっているのかもしれない。そう考えると、まだまだ緊張を解く事は出来ない。





 図書館とフランの部屋を繋ぐ一枚の扉には厳重に鍵がしてあった。それは物理的な鍵だけではなく、魔法を使った、いわゆる結界も含めてである。その結界は何重にも張り巡らされており、普段は決して出る事も入る事も出来ないようになっているのだった。そしてこの結界は、今回のような脱獄騒ぎがある度に構造を見直され、より強い物に改良されているはずだった。

 私は小脇に抱えてきた本を手に取り、結界に関する覚書を書いた頁を開いた。そして、書いてある文字や図を読みながら、私が一人で居る間には何も起こらないで欲しいと心の中で祈っていた。

 手にした本に書かれている文字を視界に納めながら私は頭を回していた。今まで聞こえた爆発音と、結界の関係性。室内の状況、事実関係の確認。そして、置きっぱなしにして来た紅茶、などと掴みどころの分からぬ有象無象の事を考えていると、後ろから小悪魔の声が聞こえてきた。振り向くとそこには、急ぎ足で駆けつける小悪魔と咲夜の姿があった。

「パチュリー様、咲夜さんを連れてきました!」

 走り寄ってくる小悪魔は先程まであれほど慌てていたにも関わらず、まるでこの騒動を楽しんでいるかのように、今では小さな笑みすらも浮かべながら手を振っている。私は、そんな彼女に少々ばかり呆れながらも、咲夜と軽い挨拶を交わした。咲夜は館から急いでここまで来たにも関わらず、息も上がらずに平然としている。まるで、爽やかな並木道でも散歩してきたかのようだった。

「咲夜、こあから話は聞いているでしょう?」

「はい、パチュリー様。ここへ来るまでに状況はあらかた把握いたしました」

「よろしい。それならば、話は早いわね」

 私は早速、作業に取り掛かるべく、指示を出す為に小悪魔の方へと視線を向けた。今は一秒たりとも無駄には出来ないのだ。すると、小悪魔は微笑を浮かべたまま、私の指示を待っていた。

「こあ、結界を解除して扉を開けるわ。咲夜、万が一に備えて準備をしておいてちょうだい」

「分かりました、パチュリー様。それでは、結界解除の準備をいたします」

 小悪魔は恭しく背筋を伸ばすと、踵を軽く打ちつけてから扉へと向かった。その脇で、咲夜は静かに一礼をしていた。





 そこからは目隠しをしながら糸を針に通すような作業の連続だった。中で何が起こっているのか分からない上に、結界を突然解除したら、何が起こるか分からないからである。その為、一つ結界を解除しては様子を見て、という作業を繰り返し行っていた。

 結界を一つ解く度に私たち三人は身構えて、万が一の事態が発生しても動けるように警戒をした。その繰り返しが非常に疲れるものだった。そして、全て結界を解いた後、私はポケットを手で探り、扉に付いている物理的な鍵を解く為に必要な物を取り出した。それは、装飾のついた金色の鍵で、少し大型の仰々しい物であった。私はその鍵をゆっくりと鍵穴に差し込んだ。そして、鍵を回す。がちゃり、と音を立てて扉が開くのが分かった。

「パチュリー様、扉を開けますので後ろへお下がりください」

 咲夜は私が回した鍵の速度よりもゆっくりと歩み出てきて言った。私はその指示に従って数歩、後ろへと下がった。私が安全な場所まで下がったのを確認すると、咲夜は扉を静かに開いてから慎重に中を覗き込んだ。

 私の居る位置からは室内の様子をうかがい知る事は出来ず、ただ咲夜の後姿と薄く開いた扉から見える細い景色しか見る事が出来なかった。

「妹様……どうなさいましたか?」

 室内へ語りかける咲夜の声が聞こえる。だけど、室内に居るはずのフランの声は私まで届いては来なかった。

「はい……そうですか……今、パチュリー様も一緒に居ります……はい……少々、お待ちください」

 咲夜はゆっくりと首を引っ込めると、扉を一度閉じた。扉を閉める時の金具の当たる小さな音が、やけに大きく聞こえる。扉が全て閉まったのを確認すると、咲夜は私に小声で話しかけてきた。

「妹様が、パチュリー様とお話したいそうです」

「分かったわ、彼女と話してみる」

「落ち着いているようなので、今は安全でしょう……ですが、お気をつけて下さい」

 咲夜の忠告を聞き、私は少し身構えながら扉をゆっくりと開けた。室内はしぃんと静まり返っている。部屋の中を見渡すと薄暗くも小奇麗な部屋の中央辺りに、へたるように座り込んでいるフランの姿があった。私はその姿を確認すると、狭い扉の隙間から身体を潜り込ませて中へと入った。

 フランはぺったりと床に足をつけて、両手を膝の前についていた。彼女は私が入ってくるのを感じ取ると、素早く視線を私へと向けた。その瞬間、鋭い物で突かれたかのような衝撃が私の胸に伝わってくるのが痛い程に分かった。

「フラン、私に話があるんですって?」

 彼女の視線から私は逃れるようにして、自ら話を切り出した。すると、彼女は屈託の無い笑みを浮かべて言うのだった。

「ねえパチェ、私、外へ出たいの。ここに居てもつまらないわ。だって、ずっと同じ物しか見えないのだもの」

「そうね……じゃあ、咲夜と相談してみるわ。少し待っていてね」

 私がそう言うと、彼女はにっこり微笑んで大きく首を縦に振るのだった。私は自らの体を再び扉の外へ引っ張り出すと、外で待っている二人を見た。咲夜は少しばかり心配そうな表情を浮かべていたが、小悪魔は相変わらずであった。私は扉を閉めて室内に声が聞こえないようにすると、念には念を入れて咲夜を小声で呼んだ。

「咲夜、フランは外に出たいと言っているわ……どうしたら良いかしら?」

「そうですね……妹様を外に出すのは危険過ぎます……ですが、このまま室内で暴れられても……」

「そうだわ、レミィに説得してもらうのはどうかしら?」

「駄目です、レミリアお嬢様はただ今、神社の方へお出かけしておられます」

 咲夜の言葉を聞いて私は狼狽した。こういう時に限って、何故レミリアは居ないのか。私は無意識の内に唸り声を上げていた。それを聞いてなのか、小悪魔が横から口を挟んで来たのだった。

「パチュリー様、一度……妹様を外へ出してみるのはいかがでしょうか?」

 小悪魔の言葉は、真剣に議論をしている私達をあ然とさせるには十分すぎた。

「こあ、あなた……本気でそれを言っているの?」

「ええ、私は割合、真面目に提案しておりますよ?」

「さっきから話している通り、フランを外に出すのは危険なのよ。だから、それは……」

「いいえ、私は妹様を解き放てとは言っていません。ただ、監視下に置きつつ自由を味あわせてあげれば良いのではないかと考えたのです」

 監視下に置きつつ、小悪魔はその部分を強調して言った。そして、不気味さすら感じる実に悪魔らしい微笑を湛えたまま、彼女は語を繋いだ。

「事件の発端となった爆発音も気になる事ですし、一度、妹様を外に出して部屋の中を点検しなくてはならないと私は考えているのです。あれほどの爆発ですし、結界が損傷しているのは間違いないでしょう。その為に、まずは彼女を檻から出してあげなくてはなりません。そうです、妹様を部屋から外へと出してあげるのです。ですが、決して逃げられないように柵をつくり、管理された自由を彼女に味わわせるのです、パチュリー様。その為には、この館自体をそれは堅固な要塞にする必要があるのです!」

 小悪魔はどこかの政治家が行う演説のように力強く、オーバーな身振りと一緒に語っていたが、あまりにも動きがオーバー過ぎるせいで滑稽で胡散臭い物にしか見えなかった。きっと小悪魔は、最近、盗み読みをした本に触発でもされているのだろう。しかし、小悪魔の言っている事にも一理あった為に、私はその部分を気に留めない事に決めた。

「そうね……こあの言う通りかもしれないわ。結界の状態が気になるし、再度このような事が起こらないように結界の張り方を見直すべきだと思うわ。咲夜、私達が作業をしている間、フランの世話をお願い出来るかしら?」

 私は、言いたい事を言い終えて満足気にしている小悪魔に対して、訝しげな視線を送っている咲夜に尋ねてみた。

「はい、勿論です。美鈴に面倒を見させる事にしましょう。彼女ならばきっと、妹様の良い遊び相手になるはずです。私は、すぐさまレミリアお嬢様と合流して、状況を報告いたします」

「そうなったら決まりね……早い所、仕事を終わらせてしまいましょう。飲みかけの紅茶が冷めてしまう前に」


 -続-