巫女と機関銃




昼下がりの脱獄騒ぎ -後編-







 それぞれが成すべき行動が決まった後、フランは咲夜に手を引かれて館の一階へと昇っていった。しかし、外に出られないように、私は館の周辺だけ雨を降らせておく事にした。それは普段からフランが脱獄を企てた時に行う防衛手段として準備していた物であった。なぜ雨を降らせるかと言うと、吸血鬼は流れる水を嫌い、その水を渡る事が出来なくなるからである。これで、館を覆う大きな柵が完成したのだった。

 全ての準備が整ってから、私達はフランドールの居た問題の部屋へと足を踏み入れた。室内は一見、普段通りであったが、今まで見えなかった扉の内側部分が激しく損傷しているのを見つけた時、その凄惨さに私達は声を失ってしまった。

「パチュリー様、これは酷いですね」

 小悪魔が先程のニヤケ顔から一転して真剣な表情をし、刑事の様に淡々とした口調で言った。

「ええ、そうね……だけど、無理矢理に結界を破ろうとした訳ではなさそうだわ」

 私は、その扉に付けられた傷を見て何かを感じていた。扉の中央ではなく、少し脇にそれた部分を狙った攻撃。それは結界の穴や脆弱点、そのような隙間を狙って叩いたのではないかと思われた。だけど、誰がそれを教えたのだろうか。フランには仕組みが分からないように、酷く複雑に組んだはずの結界である。誰かが、彼女にそれを教えなくては、このようにピンポイントを狙った攻撃は出来ないはずだった。

「これは、結界の張替えには時間が掛かりそうですね」

 小悪魔の呟きを尻目に、私は床を見渡した。床には扉を壊した際に飛び散ったであろう、金属や木の破片が散乱していた。その内の一つが、床に投げ出されたままになっているぬいぐるみに槍のように突き刺さっていたのを見た時、私は狂気という物を少しばかり感じてしまった。

 私はそのぬいぐるみから目を逸らしながら、本を開いて結界について書いてある部分に再び目を通した。そこには、現在の結界に関する設計図のような物も書いてあり、私はそれをじっと眺めてみた。

 この結界を構築した際、欠陥なんて見つからなかったはずだ。だけど、きっとどこかに見落としている穴がある。そして、その穴を見つけなくては、この結界はいつか破られるだろう。

 誰が欠陥をフランに教えたのか、という事よりも、どこに欠陥があるのか、という方が今の私には気になっているようだった。

「一体、どこに落ち度があったのかしら……」

「あ、この結界の欠陥は、扉の脇にあるんだぜ」

「そんな所にあったのね。そして、彼女はここを叩いて破ろうとした」

 なるほど、それならばフランが攻撃した場所も納得できる。だけれど、設計図を見ただけで欠陥に気付くなんて小悪魔も立派な……いや、さっきの声は小悪魔の声じゃなかった。私は、咄嗟に声のした方向へと目を向けた。

「やあ、なんだか大変そうだな、パチュリー?」

 そこには、嫌らしい笑みを浮かべた魔理沙が立っていた。

「なんで……なんで、あなたがここに!?」

 私は驚きで声がひっくり返った事も気にせずに、彼女に対して詰問した。

「まあまあ、落ち着いてくれよ。玄関が開いてたからお邪魔したんだ。ほら、外は雨だろう?だから、雨宿りも兼ねてね」

「雨って……この館の周辺だけでしょう」

「ああ、実はそうなんだ。しかし、そういう時って大体なにかが起こってるものだからね」

「まあ、下らない野次馬根性ってやつかしら?」

「いや、それは違うな。私のは探求者魂ってやつだ」

 私は魔理沙との会話を短い自棄になった返事で無理矢理に終わらせると、本へと視線を戻した。その際、遠くで私達を見ている小悪魔がニヤリと微笑んでいるのを私は確かに見た。





「少しは手伝いなさいよ、魔理沙。どうせ暇なんでしょう?」

 私は先程からフランのベッドに腰をかけて、暇そうに足をバタバタさせている魔理沙に言った。しかし、彼女は私の言葉を聞いても、馬耳東風のようでヘラヘラと笑っているだけだった。

「私なら十分、手伝ったよ。なあ、小悪魔?」

「え?ええ……まあ、そうですねぇ……」

 突然、話を振られた小悪魔は少し困惑気味に、作業を続けながら返事をした。

「こあ、魔理沙が何を手伝ったというの? あの人は突然現れて、意地悪く笑っているだけじゃない」

「ははは、そう言うなよ。私は、パチュリーの知らない所で大いに貢献しているんだ」

「へぇ、そうなの。それは知らなかったわ」

 頭に来ていた私は魔理沙に牙を剥こうとしたが、どうせそんな事をしても彼女は笑うだけで何の反応も見せないと分かっていた。だから、噛み付くのは後回しにして、何とか作業に集中する事で邪念を吹き飛ばそうと考えた。

 それから、一定間隔で魔理沙の顔を睨みながら、結界を修復する作業を小悪魔と二人で進めた。しかし、一つばかりどうしても疑問が残っていた。そして、私はそれを小悪魔に尋ねてみる事にしたのだった。

「こあ、フランは……彼女はどうやって、結界の欠陥を知ったのだと思う?」

「えっと……きっと、偶然でしょう。叩いた所が偶然、欠陥のある場所だったのですよ。ええ」

 そんな小悪魔の返答によって、私の疑問は解決するどころか膨張をしていくのがまじまじと感じられていた。

「偶然? あなた、本当にそう思う?」

「ええ、偶然です。扉を叩けば道は開かれるものですし……ええ、偶然です」

 その時、私達のやり取りを聞いていた魔理沙が、突然なにかが破裂したような音を立てて笑い出した。そして、魔理沙は小悪魔に意地悪そうな口調で言った。

「小悪魔、それじゃあ良い言い訳とは言えないな」

「ま、魔理沙さん……その、なんですか……変な誤解をパチュリー様に与えないで下さい!」

「あはは、お前もとことん悪いやつだな。パチュリーは、もうとっくに感付いている頃だろうよ?」

 感付いている、私が? 一体、何を? 魔理沙の発言は私に大きな疑問を与える事になった。その疑問のせいで、先程の扉に関する疑問が真っ黒に上塗りされて行く。

「ちょっと、待ってちょうだい。私が一体、何を感付いているって?」

「おや? 私の思い違いだったかな? どう思う、小悪魔?」

 小悪魔は暫く黙ったままバツが悪そうにうつむいていた。だが、すぐに申し訳無さそうな表情になると、懇願するような眼を私に向けて小悪魔は口を開いた。

「パチュリー様、実は……この結界の欠陥を教えたのは、私なのです……」

 その言葉を聞いて、私は重い鈍器で殴られたような衝撃を受けた。しかし、この小悪魔の裏切りとも取れる行動を知っても、怒りという物は全く込み上げてこず、不思議と冷静な気持ちであった。それは、今まで疑問に思っていた事が、全て頭の中で繋がったからであった。

「あら、そうだったの……つまりは、あなたが欠陥を発見して……」

 私は先程から壊れた笑い袋のように笑い続けている魔理沙を見た。

「魔理沙に教えたのね? そして、彼女から……フランへと、伝えられた」

 魔理沙は私の話を聞いても両手を上へとあげながら、やっと分かったのか、というような表情を浮かべただけだった。

「でも、こあ……なんで、あなたは私に真っ先に教えてくれなかったのかしら?」

「あの……それはですね……きっと、パチュリー様にお伝えしても、取り合ってもらえないと考えたからなのです……」

「あなた、ちゃんと私に話してくれれば……」

「なあ、パチュリー。小悪魔は、何とかして事の重大さを伝えたかったのだと思うよ。でも、普通に話しただけでは、おまえは聞き流してしまうだけだろうからな。だから、あえて実際に問題を発生させる事で、おまえに分からせようとした訳だ」

 なるほど、事の次第は良く分かった。しかし、そんな事をして何か大問題が、紅魔館のみならず外部にも広がる大問題になったらどうするつもりだったのだろうか。それに関しては魔理沙が明確な答えを出してくれた。

「だから、私が館の近くに居たんじゃないか。何かあったらすぐに動けるようにね」

 ネタばらしをされて、私は一気に気が抜けたようだった。肺の中の空気を全て吐き出すように大きく溜息をつくと、相変わらずにやけている魔理沙と、すまなそうに微笑んでいる小悪魔を見渡した。

「私にとっては、少しばかり高額なレッスンになったようね」

「ああ、だけど、自分の作り上げた術式を見直す良い機会になっただろう?」

「本当にね、感謝してるわ」

 私は少し嫌味っぽく魔理沙に言った。彼女は高らかに笑い声を上げながら、ベッドから立ち上がる。

「そろそろ、咲夜とレミリアも待ちくたびれている頃だろうな。私は彼女達の所へ行って、全て終わった事を伝えてくるぜ」

 なんだ、レミリアも咲夜も既に知っている事だったらしい。なるほど、全く何も知らされて無いのは私だけだったのだ。

「でも、フランに上手く手加減をさせたわね。あの子が本気を出したら、あんな欠陥結界は一発で粉々になっていたわ」

 魔理沙に微笑みかけながら私は言ったのだが、彼女は私の顔を見て訝しげに首を傾けた。そして、静かに言うのだった。

「いや……私は手加減しろなんて、フランに言ってないぜ? むしろ、徹底的にやれと発破をかけてやった位だ」

 その言葉によって、私は背筋に冷たい汗が流れる落ちるのを感じ、全身に鳥肌が立つのを嫌というほど痛感させられる事になった。




◆                         ◆




 一方その頃、館の一室では……

 美鈴がフランと二人っきりで部屋の中に居た。咲夜はレミリアを迎えに行った為に、一人でフランの世話……もとい、監視をしなくてはならなくなったのだった。美鈴は緊張した面持ちで椅子に座りながら、赤い服を着た少女を監視していた。

「ねえ、美鈴。雨、止まないわね」

 分厚いカーテンを開けた小さな窓にしがみ付くようにして、真っ黒な雲から流れる滝のような雨が降り続けている景色をフランは永延と眺め続けていた。

「ええ、そうですね……今日は、とても天気が悪いみたいで……」

「せっかく部屋から出てきたのに、これじゃあ面白くないわ」

 美鈴はフランの小さな背中を眺めて、自分が彼女に何かしてやれないかと考えていた。だが、遊ぶにしても加減の出来ないフランとでは、自らの身体がバラバラにされても文句は言えないのだった。

 そして、美鈴はとある事をひらめいた。

「そうだ、妹様。私が何かお話をして差し上げましょう!」

 美鈴の提案を聞くと、フランは目を輝かせて振り返った。そして、顔一杯に笑みを湛えて、わっと歓声を上げるのだった。

「じゃあ……何か、昔々のお話を一つ」

 美鈴が話を始める為にわざとらしい咳払いをすると、フランはテコテコと小さな足を忙しく動かしながら彼女の許へとやって来た。そして、座っている美鈴の膝に両手をちょこんと置くと、透き通るような純粋な瞳で美鈴に期待の眼差しを向けている。

 そんなフランからの視線を受けて、美鈴は少々緊張しながらもゆっくりとした口調で話を始めた。

「……その昔、雨というのは大きな大きな龍によって……」


 -終-